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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年02月01日

牛の鈴音を見て


東京に出張中、帯広では上映してない『牛の鈴音』を
銀座シネパトスで見てきた。
菅原文太さんの題字で気になり、
ぜひ見てみたいと思っていた。
今回夕方6時に暇となり、一人だけで、
急いで大崎から有楽町駅に来た。
ブランドメーカーのビルが立ち並び、
華やかな街と着飾った人々の中をくぐり抜け、
映画館を探し出す。
近頃のシネコンのように見やすく
音響もすばらしい映画館ではない。
通りや地下鉄の騒音が響く古い映画館で、
座席も低く疲れるスクリーンでした。

周囲が暗くなりとうとう映画が始まった。
女性のなじるような早口で意味もわからない言葉。
韓流ブームの時に少し勉強すれば良かったのに、
ハングルがわからないから、字幕に目を踊らせ、
雰囲気をつかんでいく。
ホントに『ない』ことの物語だ。
事件や起承転結やかわいい動物や綺麗な女性も『ない』。
その上に善とか悪とかももちろんない。
農薬や機械も人手も『ない』。
役牛がなんとか働く。おじいさんも働く。
物語には強いメッセージや思想を盛り込んでいるわけでも『ない』。
牛に深い愛情を注いでいるわけではなく、
仕事をするために生きるために働くために、
草を運び、時に牛を叩き、牛を売りに行く。

生活や暮らしなど役牛なども含めても、
なかなか共感できるものが少ない。『ない』かも。
北海道の開拓の頃には馬がたくさん使われ、
ドサンコとして生活の中にいた頃なら共感できたかも。
今じゃ馬産農家の方も、生まれた馬は、バンバではなく、
今はほとんど熊本に行くよ(馬肉になる)と教えてくれた。
ペットと違い家畜となると感情移入がしずらい。
その見てくれも良くない牛が死んだ後、
今までずっと苦労だけしてきたようなおじいさんと
その悪口を呆れながら言い続けるおばあさんの二人に
どんな今日と明日がきたのかしら。
韓国の牛の鈴音は、あまりにもカウベルの響きと違って、
何かせつないお坊さんの鈴(リン)のようでした。  


Posted by かんずりキムチ at 00:00Comments(0)映画